ALL BLACKS

オールブラックスがもっと好きになる!知っておきたい9の基礎知識

ラグビーの地上最強軍団
「オールブラックス」とは?

「オールブラックス」とは、15人制ラグビーのニュージーランド男子代表チームの愛称です。ワールドカップ史上最多となる3回の優勝を誇り、さまざまな国際大会で最多の優勝記録を保持するなど、世界最強の名にふさわしい実力を誇ります。また、これまでに対戦した全ての対戦相手国に対して勝ち越している、世界で唯一のチームでもあります。

ちなみに「オールブラックス」の愛称は、厳密にはラグビー男子代表チームだけのことを指し、女子ラグビー代表には「ブラックファーンズ」という別の愛称があります。またニュージーランドの先住民族であるマオリ族のメンバーのみで構成された「マオリ・オールブラックス」や、7人制ラグビー代表「オールブラックス・セブンズ」「ブラックファーンズ・セブンズ」も存在します。

まさかの“誤植”から
生まれた!?
「オールブラックス」の
名前の由来

「オールブラックス」という愛称は、1905年から1906年にかけて、ニュージーランド代表チームが、英国をはじめとするブリテン諸島遠征を行った際に始まりました。その由来にはふたつの説があります。ひとつは、黒色が対戦相手のチームの色と混同しない色で、シダの葉のシンボル「シルバー・ファーン」を目立たせる背景色だったことから、ユニフォームをすべて黒にすることになったことからという説。そしてもうひとつの説は、なんと、ニュージーランド代表チームの試合を見た現地英国の新聞記者による“誤植説”です。チーム全員がバックスのように縦横無尽に走りまわるプレースタイルを「All Backs(オールバックス)」と書くつもりだったのが、記者によるスペルミスで「All Blacks(オールブラックス)」と新聞に記載されたのだそうです。

しかし、今では、オールブラックスの名誉と成功にあやかるため、ニュージーランドでは多くのスポーツ代表チームの愛称の一部に「ブラック」が利用されています。

ユニフォームの胸に輝く
シダの葉
「シルバー・ファーン」

ユニフォームの胸に縫い付けられている、シダの葉のシンボルは「シルバー・ファーン」と呼ばれています。葉を裏返すと銀色に輝く、ニュージーランド固有のシダ植物がモチーフです。
また非公式ながらも、世界の人々がニュージーランドをイメージする際、最も認知されているシンボルでもあります。もともとは第二次ボーア戦争にて軍が使用したのがきっかけでしたが、それ以来、多くの代表スポーツチームがロゴとして使用してきました。

ちなみにマオリ族にはこのような有名なことわざがあります。
「一人の戦士が死んだ時、もう一人が立ち上がる」
「一本のシダが枯れた時、もう一本が立ち上がる」
これは、チームメンバーがお互いをサポートして成り立つ、ラグビーの試合そのものを象徴する言葉でもあります。シダの葉が特にラグビーとの関わりが深いシンボルになったこともうなずけますね。

ちなみに、これほどまでに国の象徴として親しまれ、認知されているシルバー・ファーンを、ニュージーランドの国旗に描こうという動きも。最終的には選ばれなかったものの、2015年から2016年には、実際に国旗変更の国民投票まで行われました。

幼稚園から教え込まれる
伝統舞踊
試合前に披露する
迫力の「ハカ」

オセアニア地域の先住民族は、戦闘に際して味方を鼓舞し、相手を威嚇するため、戦いの前に「ウォー・クライ(War Cry)」という舞踊を演じてきました。ニュージーランドではマオリ族の伝統的なウォー・クライとして「ハカ」という民族舞踊があります。このハカを有名にしたのは、オールブラックスです。試合前、相手チームへ敬意を表するため披露する、迫力満点のハカですが、今やラグビーに限らず、多くのニュージーランド代表のスポーツチームが試合前に取り入れています。

試合前のハカを世界中に知らしめたはじまりは、1888年、オールブラックスの試合がはじまりとされています。以来、長い年月の中でさまざまなバージョンのハカを披露してきました。なかでも最もよく知られ、多く演じられているものは「Ka Mate(カ・マテ)」です。日本人の耳には「頑張って」と聞こえることでも有名で、日本のTVCMにも使われたこともあります。
現在、オールブラックスの試合前には必ずハカが披露されますが、その先導役はマオリ族の血を引いた選手が行うことが通例です。
ちなみにニュージーランド国民は、マオリ文化継承のため、幼稚園の頃からさまざまな種類のハカを学び、冠婚葬祭や式典など節目の行事で披露されます。例えば高校のスポーツチームなどでは、チーム独自のハカを学んだり、卒業式などスポーツ以外のセレモニーでもこのハカを披露したりします。ニュージーランド人にとってハカはとても身近な文化でもあるのです。

世界最強の座を虎視眈々と狙う
オールブラックスのライバル

オールブラックスの好敵手といえば、オーストラリア代表「ワラビーズ」と南アフリカ共和国代表「スプリングボクス」が有名で、過去何度も激闘を繰り広げてきました。その中でも近年、有力なライバルとして割って入ったチームをご存じでしょうか。ウェールズ? イングランド? アイルランド? いえいえ、実は「レ・ブルー」の愛称で呼ばれるフランス代表です。フランスとラグビーのイメージが結びつきにくい方には、意外に思えるかもしれませんが、レ・ブルーは北半球の全チーム中、オールブラックス戦の勝利回数が最も多いチームなのです。さらに過去のワールドカップ決勝トーナメントでは、最強の実力を誇っていたオールブラックスを2度も撃破している、まさに「天敵」。2011年ワールドカップでは決勝で激突し、8-7でからくもオールブラックスが勝利しましたが、一歩も譲らない接戦を繰り広げ、ファンをヒヤヒヤさせました。

日本生まれの代表選手も!
強さの秘密は「多様な選手構成」

チームメンバーの多くはニュージーランド生まれの白人やマオリ族、ポリネシア系移民から構成されています。しかし、過去にはインド、香港など、ニュージーランド以外の13カ国で生まれた選手が選出されています。日本と縁が深いのは、90年代にリコーで活躍したエディー・イオアネ選手を父に持つ、リコ・イオアネ選手と、兄のアキラ・イオアネ選手。兄弟でオールブラックスにて活躍しています。アキラ・イオアネ選手は日本で生まれ、4歳まで日本で過ごしており、名前も日本名にあやかっています。弟のリコ(Rieko)選手の英語名の発音は「リコー」に近いから、ひょっとしたらリコーにあやかっているのかも!?

ヘビー級のプロボクサー
も代表に!?
代表選手の選考基準とは

オールブラックスは、主にニュージーランドの国内リーグで活躍する選手だけで構成されます。そのため海外移籍した選手は、基本的に代表の選考対象外となります。
また選手選出や育成において、選出基準の最優先事項とされているのは「トータル技術力の高さ」です。基本概念としてチームメンバー23人全員が、相手よりも高い精度でキャッチ、パス、ランをこなせることに最も重点をおいており、その次に体格などの判断材料が加えられます。ポジションごとに専門技術があると言われるラグビーですが、オールブラックスに選ばれる選手は、それに加えて「ALL BACKS(全員がバックス)」が大げさではないほど、高い身体能力と技術力でマルチな能力が求められるのです。

ちなみに、現在も代表で活躍中のサニー・ビル・ウィリアムズ選手は、15人制ラグビーの代表であるオールブラックスのほか、13人制のラグビーリーグでも代表経験を持つほか、ヘビー級のプロボクサーとしても7戦7勝3KOという成績を残している異色のマルチアスリートです。オールブラックスの身体能力がいかに高いかがわかる、興味深いエピソードです。

2度の栄光が刻まれた聖地
“非公式”ホームスタジアム

実はオールブラックスには、特定のホームスタジアムというものが公式には設定されていません。ニュージーランド国内にあるスタジアムすべてをホームスタジアムとして、これまでいくつもの栄光を手に入れてきました。中でも最も多くの試合をホストしたのは、オークランド市郊外にあるイーデン・パーク・スタジアム。5万人が収容できる国内最大のスタジアムで、オールブラックスが優勝した1987年&2011年ワールドカップ決勝戦を含む85試合を開催しています。

最強軍団を作り上げた
“レジェンド”選手6人!

ラグビーがニュージーランドに伝来した1870年以来、多くの選手がオールブラックスの成功に貢献してきました。その中でも、歴史上特筆すべき6人の「レジェンド」たちをご紹介しましょう。

デイブ・ギャラハー(フッカー)
1905年、初のブリテン諸島遠征時に結成された「オリジナル・オールブラックス」の初代キャプテン。彼のリーダーシップのもと、オールブラックスはこの遠征で35試合中34回の勝利を収めました。
コリン・ミーズ(ロック)
愛称「パインツリー」。1950年代から70年代まで、オールブラックスとして133試合に出場し、勇猛なプレースタイルで活躍した伝説的プレーヤー。南アフリカ遠征では試合中に腕を骨折したが最後までプレーを続行したという有名な逸話も残ります。ニュージーランドラグビー協会に、20世紀を代表する選手に選出されたアイコン選手。
ジョン・カーワン(ウィング)
1980年代から90年代にかけて活躍した名ウィング。地元開催となった第1回ワールドカップでは、伝説的な90メートル独走トライを含む6トライをあげ、大会最多トライ選手に輝き優勝に貢献しました。2007年から2011年までラグビー日本代表のヘッドコーチも務めました。
ジョナ・ロムー(ウィング)
当時史上最年少の19歳でオールブラックスに選出。196cm、119kgの巨体ながら、100mを10秒5で走る爆発的なスピードとパワーでトライを量産しました。1995年(南アフリカ大会)、1999年(ウェールズ大会)と2大会連続でワールドカップの最多トライ王に輝いています。
ダン・カーター(フライハーフ)
ワールドラグビーの年間最優秀選手に3回選出され、史上最高のスタンドオフ(フライハーフ)と呼ばれています。テストマッチでの個人通算1598得点は歴代最多記録。現在、日本のトップリーグの強豪、神戸製鋼コベルコスティーラーズにて活躍しています。
リッチー・マコウ(フランカー)
ワールドカップを主将として2連覇に導き、世界最優秀選手賞に3度選出された、オールブラックス史上「最高のキャプテン」。世界屈指の「ボールハンター」としての能力と高いディフェンス力でチームを牽引しました。世界歴代最多となる148試合に出場した記録を持ちます。